2007-10-22

Marx Brothers 1932

「御冗談でショ」Horse Feathers(1932米ノーマン・Z・マクロード)より
“Everyone Says I Love You” (2:18)



パラマウントでの長編5作のうちの4作目。パラマウント時代はフォー・マルクス・ブラザース(年長者からチコ、ハーポ、グルーチョ、ゼッポ)だったが、MGM第1作の「オペラは踊る」(1935)の前に末弟ゼッポは芸人をやめてエージェント稼業に鞍替えしてしまう。彼らのMGM時代の映画がパラマウント時代よりもパワーが落ちたといわれる原因のひとつには、ゼッポの脱退があるのではなかろうか。「ノーマル・ガイ」の役割を担ったゼッポの不在によって、チームのバランスが悪くなったといったらよいだろうか。

ビートルズ映画がしばしばマルクス映画のイミテーションだといわれるのもむべなるかな、グルーチョの不遜さやナンセンスな言葉遊びが‘A Hard Day's Night’(1964)のジョン・レノンのお手本になっていることは明白だが、それ以上に大きいのがマルクス映画が「4人組」映画の金字塔だということであろう。

それにしても、ここでのグルーチョのふるまいのアナーキーなこと。
ピート・タウンゼントジェフ・ベックがぶっ壊すよりもジミヘンが燃やすよりもはるか前にこんなことをやっていたという驚き。英語版でないのがちょっと残念。

画像と音が粗いので上げなかったが、ゼッポとハーポが同曲をやるシーンもこちらでどうぞ。もうひとつ、ハーポだけのシーンはこちらで。ハープ演奏のアルバムも出しているハーポの名人ぶりがたっぷり見られる。

もうひとつ、チコのピアニストぶりが楽しめるクリップはこちら。チコの音楽界への貢献も音楽マニアとしては見逃せないところ。彼はチコ・マルクス楽団というビッグ・バンドを持っていて、ここをキャリアのスタートとしたミュージシャンにメル・トーメバーニー・ケッセルがいる。

●グルーチョ・マルクスのフィルモグラフィ
●ハーポ・マルクスのフィルモグラフィ
●チコ・マルクスのフィルモグラフィ
●ゼッポ・マルクスのフィルモグラフィ
●マルクス・ブラザース @ Wikipedia
●ノーマン・Z・マクロードのフィルモグラフィ

2007-10-16

The Johnny Burnette Trio 1956

‘Rock, Rock, Rock’ (1956米ウィル・プライス)より
“Lonesome Train” (2:25)



アラン・フリードのMC付。ジョニー・バーネット(v,ag)とドーシー・バーネット(b)の兄弟に友人のポール・バーリソン(eg)というサン・レコード時代のエルヴィスと同じ編成だが、別名The Rock and Roll Trioを名乗るように、よりワイルドというかロックっぽい。ネオ・ロカ時代になってから彼らに対する評価が高まってきたのがとても納得できる。

バーリソンのギターがいい。メンフィス時代のハウリン・ウルフとも親交を持ち、一緒に演奏したこともあると伝えられるが、どこかウルフのギタリストたち(ヒューバート・サムリンやジョディー・ウイリアムス、とりわけウイリー・ジョンソン)を想起させる音色・フレージングを持っている。しかし、イントロやリフなどを聴くとカントリー/ロカビリーのノリと音階だなあと思う。

現在ではロカビリーのパイオニアと呼ばれてリスペクトされている彼らだが、商業的には全く報われず、バーネット兄弟の喧嘩が絶えることはなかった。そのせいで映画撮影当時のベーシストはエルヴィスのバンドで有名なビル・ブラックの弟ジョニー・ブラックがつとめている。1957年には解散し、その後ジョニーはソロ・アーティストとして成功するわけだが、トリオ時代のワイルドさは格別だと思う。CD1枚でトリオ時代の全音源が聴けるのでベアファミリー盤をおすすめします。

●ジョニー・バーネットのフィルモグラフィ

2007-10-15

Claudine Longet 1968

「パーティ」 The Party (1968米ブレイク・エドワーズ)より
“Nothing To Lose” (2:56)



クローディンヌ・ロンジェの人生を振り返ると何とも意味深なタイトルの歌。そして彼女の曲の中で個人的モスト・フェイヴァリットがこれ。映画の音楽担当ヘンリー・マンシー二の曲である。写真のサントラCDにボーナス・トラックとして入っている。

マンシー二といえばブレイク・エドワーズとのコンビが有名だが、私見ではエドワーズの映画にマンシー二の音楽がなかったら、とても観ていられない作品が多いと思うのだがいかがでしょうか。

●クローディンヌ・ロンジェのフィルモグラフィ
●クローディンヌ・ロンジェ @ Wikipedia
●ヘンリー・マンシー二のフィルモグラフィ
●ブレイク・エドワーズのフィルモグラフィ
●「パーティ」Trailer

2007-10-14

Dick Powell with Ruby Keeler 1934

「泥酔夢」 Dames (1934米レイ・エンライト&バスビー・バークレー)
より 『瞳は君ゆえに』 I Only Have Eyes For You (10:17)



映像の魔術師バスビー・バークレーの華麗なるショーの始まりだよ。エディ・キャンター主演の‘Whoopee!’(1930)が映画界での初仕事(振り付け)。本作は監督2作目なのだが、早くもバークレー色全開である。一般的イメージとしての彼の映像の特色は、おもに女性ダンサーを真俯瞰から捉えて、彼女たちの肉体と衣装がカレイドスコープ(万華鏡)で覗いた幾何学模様を描くように振付けるといったもの。実際には、ここで観られるようにアノ手コノ手で観る者をアッと驚かせてくれます。

おもにディック・パウエルが歌う『瞳は君ゆえに』は、フラミンゴスのヒット(1959)などで有名だが、この映画のためにハリー・ウォレン(曲)とアル・ドゥビン(詞)が書いたもの。フラミンゴス・ヴァージョンと違って頭にヴァースがついているところに時代を感じる。

●ディック・パウエルのフィルモグラフィ
●ルビー・キーラーのフィルモグラフィ
●バスビー・バークレーのフィルモグラフィ

Sylvia Telles 1962

‘Assassinato em Copacabana’ (1962ブラジル, dir. by
Euripides Ramos )より “Demais” (3:56)



ブラジル音楽のことは同じBlogger-BlogspotのLoronixの世話になりっぱなしだ。おかげで多くの未知・未聴のミュージシャンを知ることができた。多謝。このクリップもLoronixを読んで映画名が判明した。ついでに言えばBlogger-Blogspotでブログをやろうと思ったのも、ここの影響だと告白しておこう。

Sylvia Telles( シルヴィア・テリス、aka Silvinha Telles )は「ボサノヴァの永遠の恋人」などと呼ばれる人気歌手だが、デビューはボサノヴァ隆盛期より少し前の1950年代半ばで、しっとりとしたサンバ・カンソンを聴かせるのが彼女の本領といえる。“Demais”(ジマイス)はトム・ジョビンと彼女の夫でもあったAloysio De Oliveiraの共作。1959年に出た彼女の3枚目のアルバム(写真)に収録されている。

この映画も未見で、内容についても監督についても全然知らないのだが、「犯罪映画」とのこと。IMDBの彼女のフィルモグラフィには載っていなかった。下に不完全ながら彼女のフィルモグラフィを作成しておきます。あと、主役のMaria Petarが歌うシーンがあって、その吹き替えもシルヴィアがやっているらしい。Loronixで観られます。

Sylvia Tellesのフィルモグラフィ / ディスコグラフィ / Wikipedia
‘Carnaval em Marte’(1955ブラジル、Watson Macedo)
‘Marido de Mulher Boa’(1960ブラジル、J.B. Tanko)
“Se É Tarde, Me Perdôa”
‘Assassinato em Copacabana’ (1962ブラジル、Euripides Ramos)

2007-10-13

ピンキーとキラーズ Pinky & The Killers 1969

「恋の季節」(1969松竹・井上梅次)より
『恋の季節』(1:18)



岩谷時子作詞・いずみたく作曲の大ヒット曲。1968年から1969年にかけて創立まもないオリコンシングルチャート1位を佐川満男の『今は幸せかい』の1週をはさんで17週間占めるほどの大受けぶりだった。そんな忙しい彼らゆえ、主演映画とブチ上げても実質の主演は奈美悦子であった。

ところで、ソロ歌手だったピンキー(小指という意味だそうな)こと今陽子と組んだキラーズが、ボサノヴァ・グループだったということを初めて知った。登場人物がブラジルへ行ってしまう設定は、その関係だったのかな。

劇中でもう1曲、セカンド・シングルの『涙の季節』も歌っているのだが、だいぶ前にYouTubeから削除されたまま。このクリップもいつまでもつことやら。しかし、なぜ削除申請するかなあ。「ビジネス・チャンス」ととらえる先取性と太っ腹さがないのね。そんなこっちゃ誰も幸せになれないじゃないですか。

ピンキーとキラーズのフィルモグラフィ / Wikipedia
「恋の乙女川」(1969松竹, 市村泰一)1969.01.11
「花ひらく娘たち」(1969日活, 斎藤武市)1969.01.11
「恋の季節」(1969松竹, 井上梅次)1969.02.21
「涙の季節」(1969日活, 丹野雄二)1969.03.12
「喜劇 婚前旅行」(1969松竹, 瀬川昌治)1969.04.26
「夕陽に向かう」(1969松竹, 田中康義)1969.10.15
「喜劇 よさこい旅行」(1969松竹, 瀬川昌治)1969.11.15
「チンチン55号ぶっ飛ばせ!出発進行」(1969松竹, 野村芳太郎)1969.12.31
「喜劇 満願旅行」(1970松竹, 瀬川昌治)1970.04.25
「恋の大冒険」(1970東宝, 羽仁進)1970.07.18

●井上梅次のフィルモグラフィ

2007-10-12

Jimmy Cliff 1972

「ハーダー・ゼイ・カム」 The Harder They Come
(1972ジャマイカ, ペリー・ヘンゼル) より
『ハーダー・ゼイ・カム』 The Harder They Come (3:31)


レゲエ系の音楽は新旧ともに今では滅多に聴かないのだが、イイねえ。力強いヴォーカルとオリジナルな意味でのファンキーな演奏。この映画が日本で公開になったのは1975年か1976年だと記憶しているが、たしか1976年に観たのだと思う。このころはスカレゲエロックステディも区別がつかなかった。『ハーダー・ゼイ・カム』映画ヴァージョンは、ロックステディの色を残したレゲエといえばいいだろうか。今じゃ、ジャマイカ音楽でかろうじて興味があるのはスカ以前のメントぐらいかなあ。

映画では、やっと録音したこの曲を20ドルで買い取られて、曲はヒットしたもののスカンピンのままというジャマイカや米国で黒人ミュージシャンが伝統的に蒙ってきた搾取の構造が描かれている。「ロッカーズ」(1978)とともにレゲエ映画の古典である。

●ジミー・クリフのフィルモグラフィ(映画出演・サントラ・TV, V含む)
●Jimmy Cliff @ Wikipedia
●Jimmy Cliff 's Official Website
●「ハーダー・ゼイ・カム」Promo Trailer

服部富子 Tomiko Hattori 1939

「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝・小国英雄)より
『満州娘』(1:24)



マキノ正博や黒沢明の脚本家として名高い小国英雄の数少ない監督作品の1本。未見なのだが、古川ロッパが「昭和日記」の中で失敗作だと自らケナしまくっている作品とのこと。ところが当時のトップ歌手がステージで次々と歌うシーンが今となっては超貴重。かつてヴィデオ化されたこともあるらしい。

服部富子は服部良一の妹でテイチク専属の歌手。同じ1939年にマキノ正博の大傑作オペレッタ映画「鴛鴦歌合戦」にも出演している。石松秋二(『九段の母』など)作詞・鈴木哲夫作曲で1938年に流行した『満州娘』。「赤線地帯」(1956大映・溝口健二)で三益愛子が発狂したとき歌っていたのがこの歌だった。国策迎合の匂いがプンプンする歌詞だが、曲自体はエキゾチックで魅力的だと思う。

服部富子のフィルモグラフィ
「弥次喜多道中記」(1938日活京都, マキノ正博)1938.12.01
「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝, 小国英雄)1939.10.10
「鴛鴦歌合戦」(1939日活京都, マキノ正博)1939.12.14
「弥次喜多 名君初上り」(1940日活京都, マキノ正博)1940.01.13
「支那の夜 前篇」(1940東宝=中華電影公司, 伏水修)1940.06.05
「支那の夜 後篇」(1940東宝=中華電影公司, 伏水修)1940.06.15
「孫悟空 前篇」(1940東宝, 山本嘉次郎)1940.11.06
「孫悟空 後篇」(1940東宝, 山本嘉次郎)1940.11.06
「七つの顔」(1946大映京都, 松田定次)1946.12.31
「桜御殿」(1948マキノ映画, マキノ真三)1948.07.01
「サザエさん 前後篇」(1948マキノ=松竹, 荒井良平)1948.09.28
「三十三の足跡」(1948大映京都, 松田定次)1948.12.28
「果しなき情熱」(1949新世紀プロ=新東宝=東宝, 市川崑)1949.09.27
「サザエさん のど自慢歌合戦」(1948東洋スタジオ=大映, 荒井良平)1950.07.29


小国英雄の監督作品(リンク先は原作・脚本を含むフィルモグラフィー)
「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝, 小国英雄)1939.10.10
「金語楼の親爺三重奏 」(1939東宝, 小国英雄)1939.12.13

2007-10-08

三上寛 Kan Mikami 1974

「田園に死す」 Death in the Country aka Pastoral Hide and Seek
(1974人力飛行機舎=ATG 寺山修司)より 『カラス』 (2:13)



寺山修司の長編映画では「草迷宮」(1979)と遺作の「さらば箱舟」(1984)が好きで、それ以前の作品、たとえば本作などはあまり好みではない。リアルタイムでなくあと追いで観たせいかもしれない。寺山が意図したと思われる、象徴性を帯びた事物がうまく画面に定着していないような気がしたのだ。意味不明なところが難解と思われたフシも感じる。単純に下手くそな映画だったのかもしれない。

三上寛の情念系の歌はデビューしたころはスゴイと思ったものだが、今では苦手な部類かも。飄々としてユーモラスかつシュールな『なかなか』や『オートバイの失恋』は好きなのだけれど。『カラス』も情念系で直球な歌だなあ。このシーン以外に、三上がモノローグから突然アジるシーンもある。

●三上寛のフィルモグラフィ
●三上寛 @ Wikipedia
●寺山修司のフィルモグラフィ
●「田園に死す」Trailer

2007-10-07

Nastassja Kinski 1982

「ワン・フロム・ザ・ハート」 One from the Heart
(1982米フランシス・フォード・コッポラ)より
『リトル・ボーイ・ブルー』 Little Boy Blue (5:15)



莫大な製作費をつぎこみ、わずかな興行収益しかあげられなかった「ワン・フロム・ザ・ハート」。2,600万ドルの製作費(当時1ドル=240円ぐらいか)の大部分はスタジオ内にそっくり作りこまれたラスヴェガス・ストリップと砂漠のセットに費やされたのだという。

プチ「呪われた映画」とでもいうべきこの作品、実は嫌いではない。少なくとも「コットンクラブ」(1984)の100倍ぐらいは好きだといっておこう。そりゃケチをつければいくらでもつけられると思う。曰く「ヴィットリオ・ストラーロのカメラがベルトルッチ作品ほどよくない」とか「トップ・ロールの2人(フレデリック・フォレストテリ・ガー)が魅力的でない」とか何とか。でもそんなの関係ネエ、とはいわないがトム・ウェイツの音楽とナスターシャ・キンスキーの美しさがそんな欠点を覆い隠していはしまいか。

トム・ウェイツ、実は苦手である。近年の、ビーフハートをただ汚くしただけのような歌声も、デビュー当時のうらぶれた街の吟遊詩人風もともに違和感があるのだが、この映画の音楽には素直に入り込めた。

サントラ盤にはウェイツが歌ったヴァージョンが収められている『リトル・ボーイ・ブルー』は、女優さんにはちとむずかしい歌だったかもしれない。吹き替えに関する情報は見つからなかったので、素人っぽさを露呈している弱々しい声はまぎれもなく本人のものだと思うのだが。

ところで同じシーンを3ヴァージョン収録したこのクリップは、DVDの特典映像か何かなのだろうか。映像のオプティカル処理も音楽のアレンジも(ヴォーカルのテイクもかな?)少しずつ違うのだが、公開ヴァージョンは最初のやつだったろうか。

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(2007.10.16追記)映像が削除されてしまいました。またアップされたら拾ってきましょう。

●ナスターシャ・キンスキーのフィルモグラフィ
●フランシス・フォード・コッポラのフィルモグラフィ
●トム・ウェイツのフィルモグラフィ
●ヴィットリオ・ストラーロのフィルモグラフィ

2007-10-05

葛蘭 Ge Lan/Grace Chang 1960

「野玫瑰之戀」 Ye mei gui zhi lian / The Wild, Wild Rose
(1960香港Tian-lin Wang) より 『卡門(カルメン)』 Carmen (3:36)

「野玫瑰之戀」 Ye mei gui zhi lian / The Wild, Wild Rose
(1960香港Tian-lin Wang) より 『說不出的快活』 Ja'Jambo (1:48)



北京語で歌われるポップスをマンドポップまたはマンダポップというらしい。全くの門外漢には、グレース・チャン(葛蘭)の位置づけなど分かるはずもなく、またこの映画も当然未見です。すみません。服部良一生誕百周年記念に何かひとつエントリーしようと思って検索していて引っかかってきたのがこの人。

この当時の香港映画界は日本の監督やカメラマンを受け入れて技術交流をしている時代だった。「香港への道」(リュミエール叢書)の著者のカメラマン西本正氏がキーマンであった。この映画のカメラは西本氏ではないが、立派な絵作りの映画なので驚いてしまう。果たしてこれは日本映画界の技術移転の賜物なのであろうか。

ビゼーの『卡門(カルメン)』の編曲に服部良一がクレジットされている(といってもこれはアップロードした人のコメントに書いてあったもの)。ところで、服部良一はわざわざオリジナル編曲を頼まれたのだろうか。1947年にミュージカルで笠置シヅ子らが歌った『ジャズ・カルメン』の使いまわしなのではないかと推理しているのだが。

そう推測するのは『說不出的快活(ジャジャンボ)』が1955年の笠置の持ち歌だからだ。残念ながらオリジナル未聴につき、アレンジの異同については分からないのだが、『カルメン』の後半部分も含めて服部らしさが全開のアレンジだと思う。

グレース・チャンは基本的にはクラシックの歌い方を勉強した人らしいのだが、パンチがあってノリもよく、素晴らしい歌手だと思う。『カルメン』の前半の歌唱は矢野顕子を想起させる。あと関係ないけど顔はちょっと内田春菊に似ているかも。

この映画はオペラ「カルメン」の翻案らしくて、実はもう1曲服部がからまないクリップがあるのだが、いまひとつ面白味を感じなかったのでオミットした。興味のある方はこちらもご覧下さい。

………………………………………………………………………………………

(2007.10.11 追記)
すみません。訂正です。笠置シヅ子の『ジャジャンボ』持ってました。3枚組CD「ブギの女王=笠置シヅ子」の3枚目に入っておりました。旗照夫とのデュエットで、アレンジはグレイス・チャンのものとほぼ同じ。ただ、冒頭に「ジャジャンボー」とブチ上げるのと終盤に2回転調してキーを上げていくのはグレイス・ヴァージョンだけの特徴。加えてヴォーカルのノリは圧倒的にグレイス・チャンの方がよい。笠置のCDの解説(筆者無署名)に、この曲は法華経のリズムをヒントに書かれたとあり、なるほどオリジナル版のヴォーカルはお経のようにベッタリした譜割とノリだわ。ちなみにこの曲は笠置のラスト・レコードでもありました(片面『たよりにしてまっせ』)。

●葛蘭のフィルモグラフィ
●葛蘭 @「香港映画の世界」
●Unofficial website of Grace Chang, Ge Lan
●Tian-lin Wangのフィルモグラフィ
●服部良一のフィルモグラフィ
●服部音楽出版 presents 「胸の振り子」

Jackie Chan & Chris Tucker 1998

「ラッシュアワー」 Rush Hour (1998米ブレット・ラトナー)
より 『黒い戦争』 War(what is it good for) (2:57)



世代も文化的バックグラウンドも違う2人が、1つの歌で心を通じ合うというイイシーン。まあ映画的なご都合主義で、さんざんやり尽くされた手ではあるのだが、これを鼻で笑うような人は映画なんぞ観る必要はありません。ちなみにジャッキー・チェンは1954年、クリス・タッカーは1972年生まれだそうだ。

『黒い戦争』は、エドウィン・スター
が1970年にモータウンからリリースしてポップ・チャートの1位にまでなった大ヒット曲(ノーマン・ホイットフィールドのプロデュース)。もちろんヴェトナム戦争のプロテスト・ソングである。彼はデトロイト・ソウルでは傍系のRic-Ticレーベルからデビューした人で、デトロイト産ディープ・ソウルの世界の話も深くて面白いのだがやめておきましょう。

‘you all’を‘y'all’に直されるくだりが特に面白かった。

●ジャッキー・チェンのフィルモグラフィ
●ジャッキー・チェン @ Wikipedia
●クリス・タッカーのフィルモグラフィ
●クリス・タッカー @ Wikipedia
●ブレット・ラトナーのフィルモグラフィ

城よしみ Yoshimi Jo 1969

「薔薇の葬列」Funeral Parade of Roses (1969 ATG 松本俊夫)より
『ベッドで煙草を吸わないで』(1:39)



スタンリー・キューブリックのフェイヴァリット作なんだそうだ。前エントリーの「時計じかけのオレンジ」(1971)には随所にその影響があるとのことだが、いつも映画をボーッとしか観ていないせいで、主人公のつけ睫毛ぐらいしか似ているところを見つけることができない。

松本俊夫といえば、実験映画の大御所であるとともに、映画界きっての理論家で「映像の発見」「映像の探求」「映画の変革」などの著書もある。どの本の記述かは忘れたが、映像の価値(というか映像作家の志向性といったほうが適切かな)を「モンタージュ」と「フォトジェニー」の2要素に行き着くということを言っていて、読んだ当時はなるほどと思ったものだが、いまは「音」「台詞」「音楽」を除外した論で一定の有効性しかない、と音偏重派の人間としては反論したいところだ。

その実験映画の「俊英」が手がけた初の劇映画が本作。ピーターこと池畑慎之介のデビュー作でもある。キワモノ的なゲイボーイの世界に「オイディプス神話(エディプス・コンプレックスはここからとられた概念。ピーター演ずるエディの役名もこれに由来する)」を持ち込んだり、ボードレールジョナス・メカスを引用するなどペダンティックなつくりの映画だ。また時制が入り組んだ構成は、アンゲロプロスジャームッシュ、さらにはタランティーノの映画を観てしまった現代の観客には普通のことだが、本作封切当時には新鮮だっただろうと想像する。

『ベッドで煙草を吸わないで』は、ここ数年来関心を持っている平岡精二
の曲だと思い込んでいた。岩谷時子作詞、いずみたく作曲、沢たまき歌で1966年に出た曲だったのね。どうしても旗照夫の『あいつ』やペギー葉山の『爪』と世界がかぶる曲なのだが。

あ、そうそうピーターの左の男は蜷川幸雄です。自分の芝居にはダメ出ししないんですね。

Malcolm McDowell 1971

「時計じかけのオレンジ」 A Clockwork Orange (1971英スタンリー・
キューブリック)より 『雨に唄えば』 Singin' in the Rain (3:14)



『雨に唄えば』を歌いなが暴力・陵辱の限りを尽くすというアイデアは、アンソニー・バージェスの原作にはなく、撮影現場で急遽追加された演出なのだという。マルコム・マクダウェルが空で歌えるのはこの歌だけだったので選ばれたとのことだが本当だろうか。あまりにもハマリすぎている。クラシック音楽、とりわけベートーヴェンの第9シンフォニーが好きという設定とは矛盾するような気もするが、違和感は全くない。映画の終盤で正体がバレるときのキッカケとしても気が利いていると思う。

ドキュメンタリー映像などで人となりを見る限りでは、キューブリックは穏健で政治的にもリベラルな人物に思えるのだが、彼の作品からは暴力を憎みつつ魅せられてもいるというアンヴィヴァレントな志向性が感じられてならない。実はそれがヴァイオレンスを描く映画監督には必須な資質なのかもしれないと思ったりもするのだが。

2007-10-04

Jean Hagen 1952



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「雨に唄えば」 Singin' in the Rain (1952米ジーン・ケリー&
スタンリー・ドーネン)より 『雨に唄えば』 Singin' in the Rain (1:45)



ジーン・ヘイゲンはこの作品でアカデミー助演女優賞ノミネートを受けたということだが、彼女のキャリアにとってはあまりプラスには働かなかったようだ。これ以降はあまり映画出演がなくなり、TVドラマ・TVムーヴィーが彼女の活躍の場になる。晩年(77年に54歳で死去)の1976年には、日本でも放映されて人気のあった「刑事スタスキー&ハッチ」などに出ていたらしい。

ライノターナー・クラシックス・ムーヴィーズが共同で出した「雨に唄えば・デラックス・エディション(2枚組CD)」のライナーには、にわかには信じがたい記述がある。デビー・レイノルズが無理やり吹き替えをやらされているこのシーンの歌は、実際にはジーン・ヘイゲンが録音したものをレイノルズが口パク(リップシンク)しているというのだ。『タミー』(1957)などのヒット曲を持つレイノルズのことだから、他の曲は彼女自身が歌っているのだと思うが、このシーンでの歌をヘイゲンが歌ったのだとすれば、ヘイゲンのプライドがそうさせたのであろうと想像する。

本ブログで、通常エントリーとは別立てに「映画における吹き替え、またはリップシンク論」をやってみたい気持ちに駆り立てられるエピソードだが、その実現はいつになることやら。

2007-10-03

Bing Crosby with Eddie Lang 1932



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「ラヂオは笑ふ」The Big Broadcast (1932米フランク・タトル)より
“Dinah,” “Please”(3:22)



ビング・クロスビーは意外に黒っぽい。クロスビーは、ジャズ/ポピュラー・ミュージック史では一般的に「クルーナー」と分類されてきた。それ自体は画期的なことだが、単なるバラーディアーとみなされがちなのも事実。「ブルースの誕生」(1941)などを観てもわかるように、ジャズ感覚を相当濃厚に持った人だった。ちなみに「ブルースの誕生」を観て若きナベサダさんは、ジャズ・ミュージシャンを志したと聞く。本作の“Dinah”のスキャットの堂々たるスイング感はどうですか。

このクリップが貴重なのは、戦前の名ギタリスト、エディー・ラングの数少ない映像のひとつであるからだ。ビックス・バイダーベックフランキー・トランバウアーたちとともに伝説のジーン・ゴールドケット楽団や時代の寵児だったポール・ホワイトマン楽団で共演し、そこで同僚になったクロスビーが売り出すときのパートナー(のひとり)になるはずだった。ところが本作の翌年に手術中の出血がもとで死んでしまう。ラングの吹込みを聴くと、その音楽性の多様さに驚かされる。単にジャズ・ギターのパイオニアに留まるものではなかっただけに、その死が非常に惜しまれてならない。

Mae West 1970

「マイラ」Myra Breckinridge (1970米マイケル・サーン)より
“You Gotta Taste All the Fruit,” “Hard to Handle” (4:15)



戦後はずっと映画に出ていなかったメイ・ウエストの27年ぶりの映画出演だそうだ。長年スチール写真とその伝説的な名前のみの存在であった彼女の存在感が素晴らしい。ちなみに1893年生まれの彼女は本作撮影時には77歳の喜寿。YouTubeで戦前作品の断片を観ても、どうしてこんなケバいオバサンに人気があったのだろうと思ってしまうのだが、この映画ではハリウッド・イコン的な彼女の存在感を十分に活かしているように思う。

“You Gotta Taste All the Fruit” は、戦前の彼女が歌ってきたレヴューっぽい感覚をどこか残しつつ、撮影当時の最先端のビートと性的ほのめかしが直球な歌詞を伴った曲。オオッと思ったのはオーティス・レディングの“Hard to Handle”の選曲。このミスマッチを楽しむのが、スーザン・ソンタグ言うところの「キャンプ趣味」であろうか。

もともとゴア・ヴィダルの原作が相当キャンプ的なものだった(と言っても続編の「マイロン」(サンリオ文庫)しか読んでいないのだが)。レックス・リード(元々映画批評家、のちにゴング・ショーの審査員で有名になった)演ずるマイロンが性転換してマイラ(ラクェル・ウエルチ)になり、最後にまたマイロンに戻るという話なのだ。駆け出し中のファラ・フォーセット・メジャースがマイラの心中のマイロンの恋人として出演している。

2007-10-01

松原智恵子 Chieko Matsubara 1966

「東京流れ者」Tokyo Drifter (1966日活・鈴木清順)より
『ブルーナイト・イン・アカサカ』(6:59)



松原智恵子が本当に歌っているはずもなく、鹿乃侑子という人が吹き替えしているわけだが、声質のイメージが松原と重なるだけが取りえといったらいいすぎか? 魅力のない歌声である。

この歌をフルコーラス歌うシーンや、渡哲也が『東京流れ者』を歌うシーン、それに何と二谷英明の『男のエレジー』が流れるシーン(たしか歌うシーンはなかったと思う)もあるのだが、ネット上にあるのはこれだけなのでご勘弁を。作詞:北原たけし、作曲:楠井景久、編曲:鏑木創(本作の音楽担当)。

それにしても木村威夫らしいセット(というよりもこのシーンは単にデコレーションか)と清順さんらしい色彩感覚だ。オブジェの色が何度もかわるところ、要注目です。昔オールナイトで観たプリントはボロボロで、色は褪せ至るところにコマとびがあるという代物だった。ニュー・プリントもしくはデジタル・リマスター版なのかなコレ。キレイだなあ。DVDが欲しくなりました。

「流れ者には女はいらネエんだ」「女と一緒じゃ歩けネエんだ」クサーい台詞にもシビレます。ちなみに原作・脚本は、アノ川内康範先生です。

笠智衆 Chishu Ryu 1962

「秋刀魚の味」An Autumn Afternoon
(1962松竹大船・小津安二郎)より 『軍艦マーチ』(3:54)


軍艦行進曲

作詞:鳥山 啓
作曲:瀬戸口 藤吉

著作権:消滅(詞・曲)

一、
守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の
浮かべる城こそ頼みなる
浮かべるその城日の本の
皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
真鉄(まがね)のその艦(ふね)日の本に
仇なす国を攻めよかし

二、
石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の
竜(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
弾撃つ響きは雷(いかづち)の
声かとばかりどよむなり
万里の波濤(はとう)を乗り越えて
皇国(みくに)の光輝かせ


明治三十年頃作
明治四十三年改作


またしても「天翔艦隊」さんより転載させていただきました。こんなに古い曲だとは知りませんでした。

この映画については皆様よくご存知だと思いますので、くどくど申しません。1、2点のみ。蓮實重彦氏の「監督 小津安二郎」での記述(例によってうろ憶えな引用で申し訳ない)、「不可視(だったはず)の階段」の突然の出現。この記述に驚いたことを昨日のように思い出します。

それと、『軍艦マーチ』の楽団演奏(小規模な楽器編成だと思うが、詳細については知らない)に続いてエンディングに流れる音楽(タイトル『終曲』、作曲:斉藤高順)がイイ。昔はじめて小津映画を観たころは、さほどには思っていなかったように記憶します。少々湿った叙情的なメロディですが、通俗的ではなく高雅な感触があるなあと思っています。斉藤高順の小津の映画音楽で『終曲』よりも有名なのが、「早春」「東京暮色」「彼岸花」に使われた通称『サセレシア』。ポルカ調のこの曲、あまり似てないとは思うのですが、個人的にはジャック・タチの映画の音楽を想起させます。

「天翔艦隊」さま、メールで転載のお願いを申し上げましたが、不都合なところはございませんか? これをご覧になっていましたら、ご連絡いただければ幸いです。

2007-09-30

The Tramp Band 1943

「ストーミー・ウェザー」Stormy Weather(1943米アンドリュー・
ストーン)より “Moppin' and Boppin'” (2:57)

From unknown source, probably soundie
“Hit That Jive Jack” (2:35)



大好きなバップ・ヴォーカリスト、ジョー・キャロルの音楽キャリア最初期のバンド(バンドなのだろうか、本当に)、トランプ・バンド。ジョー・キャロルは一般的には1940年代後半のディジー・ガレスピーのビッグ・バンドでの活動で知られている。それ以前のトランプ・バンドは本当に幻のグループで最新のジャズ・ディスコグラフィーを持ち合わせない身には、吹込みがどれぐらいあるのか、そもそも吹き込みがあるのかどうかすら分からない。長い間、映画「ストーミー・ウエザー」でのみ観聴きできる存在だった。最近、下の映像を見つけたのを機に取り上げることにしました。

ジョー・キャロル以外のメンバーについては全く知らなかったのだが、下の映像についていたコメントによるとほぼ同時期・同メンバーだとして以下の名前があったので書いておきます。

Joe Carroll: vocal
(Carroll and Pinky Johnson up front )
Nick Aldrich: piano
Johnny Cousin: guitar
Ebenezer Paul: bass
Willie Jones: drums
Alvis Cowans: washboard

浅学非才にしてジョー・キャロル以外のメンバーはどういう人か知りません。ご存知の方はご教示下さい。

“Moppin' and Boppin'”(あるいは“Yeah Man ”)で、最初に歌いだすのはウォッシュボードのアルヴィス・コーワンズ。ギター・ソロに合わせて変な顔をするのがピンキー・ジョンソンという人だと思われます。その直後歌いだし、スキャットを決めるのがジョー・キャロル。途中からタップで乱入するのが、この映画の主人公ビル "ボージャングルス" ロビンソンシャーリー・テンプルの映画への出演などで知られる伝説的タップ・ダンサーで、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが書いた有名な『ミスター・ボージャングルス』は彼のことを歌った歌です。

“Hit That Jive Jack”では全面的にキャロルがフィーチャーされ、後年の特徴あるスモーキー・ヴォイスがはっきり聴き取れます。この曲はジャイヴ系のアーティストがよく取り上げる曲で、キング・コール・トリオのデッカ録音のほか、スリム・ゲイラードが何度も吹き込んでいます。残念なことにこの映像は裏焼きになっていて、左利きの楽器奏者や合わせが逆のジャケットが現前しています。

おそらく、サウンディーズがソースだと思われるこの映像を取り上げるのは反則気味なのです。サウンディーズはパノラムという映像ジュークボックス(スコピトーンと同じ原理と思われる)で観るもので、スコピトーンと同じく銀幕に投影されるフィルムではないので、今までは遠慮してきました。この先、面白いものについては取り上げることに決めましたので、ご了承下さい。看板に偽りありと責めないでね。

2007-09-29

The Royal Teens 1958

‘Let's Rock’(1958米ハリー・フォスター)より
『ショート・ショーツ』Short Shorts (2:44)



TV朝日「タモリ倶楽部」のテーマ曲として知られるロイヤル・ティーンズの『ショート・ショーツ』。キングスメンの『ルイ・ルイ』のようにシンプルながら、アキの来ない名曲だと思うのだがいかがだろうか。

このバンド(プロジェクト?)にはロック/ポップ界の大物が二人関わっている。一人は『ショート・ショーツ』の作者の一人でもあるボブ・ゴーディオ。この人はのちにフランキー・ヴァリフォーシーズンズの中心メンバーとして活躍し、数多くのヒット曲の作者となった。もう一人はアル・クーパー。弱冠14歳のギタリストとしてキャリアをスタートさせた。ちなみに映画出演時のメンバーは、ボブ・ゴーディオがピアノだが、ギタリストはアル・クーパーではなくてBilly Dalton 、サックスがのちにニッカボッカーズを結成するBuddy Randell (aka Bill Crandall )というライン・アップ。女性歌手は誰だか分からない。

Joe Cocker 1970

「ウイズ・ジョー・コッカー」Joe Cocker: Mad Dogs and Englishmen
(1971米ピエール・アディッジ)より “Cry Me a River” (3:50)

「ウイズ・ジョー・コッカー」Joe Cocker: Mad Dogs and Englishmen
(1971米ピエール・アディッジ)より “Delta Lady” (5:38)



同じ“Cry Me a River”でも、こちらは血わき肉おどるジョー・コッカー・ヴァージョン。ロックが上げ潮の時代で、聴くものすべてが新鮮だった。ロック・ミュージシャンたるもの皆自前の曲を世に問うている中にあって、ジョー・コッカーはほぼ一貫してカヴァーの人でした。ボックス・トップスの『あの娘のレター(ザ・レター)』、ビートルズの『ウイズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』、少し時代を経てビリー・プレストンの『ユー・アー・ソー・ビューティフル』などなど。いさぎよい人だなと思う。

個人的には1975年のアルバム「アイ・キャン・スタンド・ア・リトル・レイン」や翌年の「スティングレイ」がフェイヴァリットだが、Mad Dogs and Englishmen は大所帯のロック・パッケージ・ショーとして完璧だ、なんて言うと文句がでそうだが、「祝祭としてのロック・コンサート」を余すところなく体現していると思う。

“Delta Lady”は、ジョー・コッカーもしくは作者のリオン・ラッセルがオリジナルだと思われがちだが、リオンがリタ・クーリッジのために書いた曲だ。リタもまたこのツアーに参加していて『スーパースター』でフィーチャーされている。“Delta Lady”を一度終了してからリプライズするシーンは、百戦錬磨のソウル・マンなら涼しい顔でルーティーンとしてこなすところだが、ジョー・コッカーの途惑ったような、あるいはちょっとムッとしたような表情が可笑しい。

2007-09-28

Julie London 1956

「女はそれを我慢できない」 The Girl Can't Help It
(1956米フランク・タシュリン)より “Cry Me a River”(3:23)


ロックンロール映画の古典から、よりによってジュリー・ロンドンかよ、なんて声が聞こえてきそうですが、ロカビリアンやR&Bミュージシャンはそのうちやりますのでご勘弁を。

写真は映画の中でもかけられたジュリー・ロンドンのファースト・アルバム‘Julie Is Her Name’、邦題を「わが名はジュリー」という。そう沢田研二の写真集だかエッセイの「わが名は、ジュリー」(1985年、中央公論社刊、玉村豊男編)はここからとられたのだろう。

その昔、大橋巨泉がラジオの番組で「この歌手は本当に上手いか」みたいな特集をやっていて、ジュリー・ロンドンやプラターズを槍玉に挙げていたのを思い出す。要は、巨泉さんの好きなペギー・リーやカーメン・マックレエのような「本物」に比べるとフェイクだよと言ったのだと記憶している。そりゃそうでしょ。そもそもジュリー・ロンドンは「ジャズ・シンガー」ではなくて「ポップ歌手」なのだろうと思う。巨泉さんには「ポップ歌手」よりも「ジャズ・シンガー」のほうが偉いという序列(ヒエラルキー)が無意識かもしれないがあるのだろう。残念ながらというか幸いなことにと言ったらいいか、その価値観を共有することはできない。長くなるので、「ポップ」も「ジャズ」も両方愛したらええやんけ、と言って中締めしときます。

旦那のボビー・トゥループ(ジャズ・ピアニスト、作曲家、『ルート66』が有名)のプロデュースと高校時代の同級生アーサー・ハミルトンの曲提供によって“Cry Me a River”は世に送り出され、「女はそれを我慢できない」封切の翌年1957年、シングル・カットされて大ヒットになった。

ハスキー・ヴォイス=セクシーというのは、現在では通用しないほどステロタイプだなとは思うのだが、誘惑しつつ男を焦らす女性の身のこなしを思わせるようなスローなフレージングと相まって、悲しいかなパブロフの犬のごとく反応してしまう。いいじゃないの、幸せならば(って佐原直美か)。男はそれを我慢できない、ってことでおあとがよろしいようで。

2007-09-27

秋山未痴汚(道男) Michio Akiyama 1969

「ゆけゆけ二度目の処女」(1969若松プロ・若松孝二)より
『ママ、ぼく出かける』 (2:32)



無印良品・六本木ヒルズ・チェッカーズ・小泉今日子を「プロデュース」したコピーライター秋山道男と若松プロの構成員(準構成員? って893か!)の秋山未痴汚の像がうまく重なり合わない。いや全然矛盾なく重なるよと言われれば、おのれの不明を恥じるだけなんだけど。余談だけど、ビートたけし(北野武といったほうがいいかな)が少女を暴行する男の一人として本作に出ているとのこと。こちらは妙に納得できちゃうけどね。

若松プロ作品をあまり数多く観ているわけではないが、イイなと思ったのは本作と「胎児が密猟する時」(1966)。いずれも足立正生が脚本を書き、今はなき原宿セントラルアパートで撮影された作品だ。それと大和屋竺監督作品が面白かった。

映画のあちこちにパラフレーズされている詩は中村義則という人が書いたということになっている。実在する人なのかどうか知らない。ひょっとしたら秋山の変名かとも思えるのだが。現に音楽担当の迷宮世界とは、秋山道男と小水一男のことらしいので、その可能性もあるかなと思っている。

『ママ、ぼく出かける』も中村義則の詩だとして蠍座のフライヤー(昔はチラシといった。上掲写真はトリミングされたもの)に掲載されている。ミラーがミラノになっていたり、ノーマン・メイラーがノーマル・メーラー(メール・ソフトかよ)になっていたり変なところはあるけど、耳で聴いただけじゃ分からないところがあったのでありがたい。映像の英字幕もかなり変だしね。

アメリカの黒人詩人に擬態して書いたと思しい詩のポエトリー・リーディング。あるいはテンションの低いジャックスといった趣もある。そう言えばジャックスも「腹貸し女」(1968)で若松映画の音楽を担当してるんだっけ。出演しているかどうかは未見なので知らないのだが。

参考までに、ラスト・シーンはこちらです。

Anouk Aimée 1961

「ローラ」Lola (1961仏ジャック・ドゥミ)より
『ローラの歌』Chanson de Lola (1:30)



マックス・オフュルスに捧げられたジャック・ドゥミの長編第1作。ヒロインのローラはジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の「嘆きの天使」(1930)でマレーネ・ディートリッヒ演ずるLola Lolaから名前とキャラクターを拝借してきたもの。と言ってもディートリッヒのように男を破滅させることにはならないのだが。

ミッシェル・ルグランと初めてコンビを組んだ作品でもあるのだが、全面的にルグランの音楽を使用したわけではなくモーツァルトやベートーヴェンなども使用している。ドゥミによると「音楽のないミュージカル」のつもりで撮ったとのことだが、いわゆるミュージカルではない。

アヌーク・エーメの吹き替えをやったのは、Jacqueline Dannoという女優で歌も歌う人。ラテン・ジャズっぽいバックに対して自由律な歌唱。オリジナルなメロディや譜割から完全に逸脱した、悪しきシャンソンの典型みたいな歌い方だ。本来なら否定したいところだが、こうして映像付きだと妙に説得されてしまう。声そのものも官能的だし。もちろんアヌークの姿態もね。

2007-09-25

Nadine Nortier 1967

「少女ムシェット」Mouchette (1967仏ロベール・ブレッソン)より
曲目不明 Unknown Song (0:44)



ロベール・ブレッソンの映画では人は歌わない、という何となくの思い込みがある。それどころか音楽が流れることもなかったのではとすら思えてしまう。静謐な佇まいと禁欲的な人物像。これがブレッソン映画の印象なのだが、凄惨な事件や悲劇は静謐なムードの連続の中で生起する。アメリカ映画などで事を起こす前の人物が散々ジタバタするところを描くのとは対照的なやり方だ。いい悪いではなく、それが彼の個性なのだと思う。

映画の中で歌う行為は、どこか真情吐露的なところがある。あるいは人物の心理描写の一手法であると言ってもいいかもしれない。それは一歩間違えれば陳腐なあざとさに堕してしまう危険性を持っていると思う。相米慎二作品が、あざとさにあえて半歩踏み出して少年少女たちに歌わせてきたことを思い出す。

本作で歌うシーンがあったことは、このクリップを見つけるまですっかり忘れていた。と言うよりもラスト・シーン以外は全く憶えていなかった。このシーンの前に学校での出来事があり、そこでムシェットは屈辱的な状況で同じ歌を歌わせられている。断片的に見ていくと、ごく普通の映画に見えてくるから不思議だ。

2007-09-24

Corinne Marchand 1961

「5時から7時までのクレオ」Cléo de 5 à 7
(1961仏アニエス・ヴァルダ)より 『サン・トワ』 Sans toi (2:31)



アニエス・ヴァルダの映画には微妙に入り込めないものを感じている。と言っても他に観たことがあるのは「幸福」(1965)と「歌う女・歌わない女」(1977)に短編の「コートダジュールの方へ」(1958)ぐらいなので大きな口はたたけないのだが。加えて本作の主役コリンヌ・マルシャンのルックスも微妙ではないか。別に美しくなければいけないことはないのだが、若いのか老けてるのか年齢も判別できないし、積極的に嫌いになれるほどの強い個性も感じない。それでもここに取り上げたのは、ミッシェル・ルグランの音楽ゆえ。

「ローラ」(1961仏ジャック・ドゥミ)で旦那に気に入られて、カミさんの映画の音楽も担当することになったのだろう。ルグラン本人も登場するとは身内同然の扱いだ。ピアノを弾き歌唱指導をしているのが、ルグランその人。

『サン・トワ』は、「シェルブールの雨傘」(1964仏ジャック・ドゥミ)の愛のテーマや「おもいでの夏」(1971米ロバート・マリガン)のテーマ曲などと同系列の曲で、聴き手をドップリと感傷に浸らせるというタイプ。ルグランのジャジーで小洒落た曲の系列を良しとして、こちらの系列を軽んじ疎んじる向きもあるけど、なに怖がることはありません。両方聴き倒したらええやんか(何故か関西弁)。

2007-09-23

Fred Astaire 1946

「ブルー・スカイ」Blue Skies(1946米スチュアート・ハイスラー)より
“Puttin' On The Ritz”(4:35)



歌よりもタップと何度見ても不思議な画面ですか。やっぱりそこに目が行っちゃうよね。ステッキが2度手元に戻ってくるのは床に設えた装置を使っているらしい。フィルムの逆回しを使っているのかと思わせる出来映えだ。途中でカットを1回割っているのと、パンして床に置いたステッキをフレームアウトしているのは、そういう訳だったのだ。

最後の9人のアステアを従えて踊る部分は、2ヴァージョン撮影したものを互い違いに焼きこんで合成したものとのこと。現在ならコンピュータで簡単に出来るのだろうが、最早誰も驚かないだろう。このシーンはカラクリが分かってもなお不思議な気持ちを抱かせるに十分なインパクトがある。

アステアの歌は決して上手くないし音程もよくはないのだが、鼻歌風のリラックスした感じがあって好ましく思ってしまう。結構イイ曲を歌っているのだが、曲の良さを殺していないというか歌手としての過度の主張がないところがイイと言ってもあまり誉めたように聞こえないかな? ちなみにこの曲はアーヴィング・バーリンが作詞作曲を手がけた。と言うよりもこの映画全体の曲(ほとんどの作詞も含む)とストーリーはバーリンの手によるもの。

本作の主役たるビング・クロスビーについては後日改めて取り上げます。

2007-09-20

江利チエミ Chiemi Eri 1957

「青春航路」(1957宝塚=東宝・瑞穂春海)より
『スワニー』Swanee (2:17)

「青春航路」(1957宝塚=東宝・瑞穂春海)より
『シシカバブー(串カツ・ソング)』(2:42)



宝塚映画(1951~1968年に映画制作をした東宝の子会社)初のカラー(イーストマン)&シネスコ(東宝スコープ)映画(1957年12月封切)。ちなみに東宝本体では同年7月封切の「大当たり三色娘」(杉江敏男、元祖三人娘シリーズの3作目)がカラー&シネスコの嚆矢。

本作にはゲストで雪村いづみも出演していて『黒田節マンボ』を江利とデュエットしている。ほかに江利が中野ブラザースと下駄タップを見せる『おてもやん』『祇園小唄』などもあるのだが、割愛した。興味のある方はリンクをクリックしてご覧下さい。

『スワニー』は、ジョージ・ガーシュインの最初の大ヒット曲で、前エントリーのアル・ジョルソンによって有名になった曲。ブロードウエイ・ミュージカル「ショウボート」風のセットが印象的。江利の歌いっぷりは無理がなくてスッと聴ける。

『シシカバブー(串カツ・ソング)』は、調べたかぎりではRalph Marterie(ラルフ・マーテリー)というビッグバンド・リーダー兼トランペッターが放った1957年5月のインスト・ヒットのカヴァーかと思う。ちなみに江利はこの曲を同年9月にSPでリリースしている。編曲は越路吹雪の夫、内藤法美。演奏は見砂直照と東京キューバンボーイズである。1954年の『ウスクダラ』(『シシカバブー』の間奏にメロディが登場)、1955年の『イスタンブール・マンボ』に続く「エセ中近東ソング」とでもいうべき路線の1曲。ちなみに『ウスクダラ』はアーサー・キットがオリジナルだが、『イスタンブール・マンボ』のオリジナルは誰なんだろう? ムーンライダース・ファンの方教えて下さい。

ムーンライダースと言えば、彼らがアルバム「イスタンブール・マンボ」の前に江利チエミとアルバムを作るプロジェクトが途中で頓挫して未完成に終わり(前出3曲を含む全曲お蔵入り)、それにインスパイアされてアルバム中の『イスタンブール・マンボ』、『ウスクダラ』を発表したという話がある。詳しくは当ブログもブックマークしている「江利チエミファンのひとりごと」を見て下さい。

とにかく『シシカバブー(串カツ・ソング)』はストレンジでイイ曲です。

…………………………………………………………………………………

2007年9月27日;『イスタンブール・マンボ』のオリジナルが判明。1953年の“Istanbull( Not Constantinople ) ”がその曲。アーティストはフォー・ラッズ。フォー・フレッシュメン・フォロワーのコーラス・グループ。中近東風のメロディをマンボにのせたのはチエミ・オリジナルと言えそうだ。

Al Jolson 1927

「ジャズ・シンガー」The Jazz Singer(1927米アラン・クロスランド)より
“Dirty Hands, Dirty Face”(2:52)


「ジャズ・シンガー」The Jazz Singer(1927米アラン・クロスランド)より
“Toot, Toot, Tootsie”(2:07)


「ジャズ・シンガー」The Jazz Singer(1927米アラン・クロスランド)より
“Blue Skies”(2:49)


「ジャズ・シンガー」The Jazz Singer(1927米アラン・クロスランド)より
“My Mammy”(2:07)



「世界初のトーキー映画」ということになっているが、正確に言えば少々違う。映画の大部分がサイレント映画で、見せ場である歌とそれに付随した部分だけに音が入っている「パート・トーキー」であること。長編映画(フィーチャー・フィルム)としては世界初であるが、1~2巻ものの短編では何年も前にトーキー化が実現されているという事実をあげておこう。以前にエントリーしたMills Bros.で触れたようにフライシャー・スタジオ制作のSong Car-Tunesシリーズ(1924~1926)というのがすでにあるので、少なくともトーキー映画の起源は1924年まではさかのぼることになる。それ以前となるとさっぱり分からない。一応 wikipedia のSound film を参考にあげときます。

Dirty Hands, Dirty Face:エドガー・レズリーとグラント・クラークという人が歌詞を書き、ジェームス・V・モナコという人が曲を書いた曲。今日的観点から聴けばさして面白い曲ではない。まあ歴史的価値ということで観聴きすればよろしいかと。なお「ジャズ・シンガー」の「ジャズ」も歴史的な意味を持った単語であることにご注意を。狭義のジャズではなく、すなわち現在ポピュラー・ミュージックの1ジャンルとして認識されている特定の音楽ではなく、クラシックの歌曲や宗教的な歌あるいは民俗的な要素を持った歌以外の「卑俗な歌」全般を指している。当時のポピュラー・ソングとほぼ同義と言ってよいと思う。
Toot, Toot, Tootsie:ガス・カーンが中心となって書かれた曲。普通ガスと表記されるが本名が Gustav Gerson Kahn なので、グスが正解なのかもしれない。代表作は "It Had to Be You" (1924)、 "Yes Sir, That's My Baby" (1925)、 "Side by Side" (1927) 、"Makin' Whoopee" (1928)など。大作詞家である。“Toot, Toot, Tootsie”は2ビートっぽいニュアンスを持ったスイング・ビートの軽快な曲。間奏の指笛も面白い。映画史的には曲前の台詞“Wait a minute, wait a minute, you ain't heard nothin' yet.”の方が有名かもしれない。和田誠氏の著書のタイトルにもなった「お楽しみはこれからだ」である。
Blue Skies:アーヴィング・バーリン作詞作曲の有名曲のひとつ。数年前に日本のTVCFでも使われたマキシン・サリヴァンのヴァージョンが大のお気に入りだったりする。イイ曲の賞味期限はないに等しい。なんてね。
My Mammy:この映画の最大の見せ場のひとつ。黒塗り(blackface )は、ミンストレル・ショーの伝統に則っているわけだが、人種的軋轢の時代を経て廃れたスタイルである。黒人蔑視のエスニック・ジョークの類として片付けてしまうのは簡単だが、現在にもつながる視点で言うと黒人になりたいBボーイたちの先駆け的な存在と言えなくもない。相当屈折してるけどね。あ、この曲は有名なウォルター・ドナルドソンが作曲した曲で、アル・ジョルソンにとっても代表作のひとつとなっています。

2007-09-19

Anita O'day 1958

「真夏の夜のジャズ」Jazz On A Summer's Day
(1959米バート・スターン)より
“Sweet Georgia Brown,” “Tea For Two”(8:21)



「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」とか申しますな。そのココロはと申しますってえと、ジャズてえもんは演ってナンボのモンで、アプリオリってんですか、演る前から「次の曲は名曲でございますから、ひとつご祝儀を」なんてえのが通用しねえ。どんな名曲であろうと演者の遣り口次第(しでえ)だとこういう意味らしいですな。

ここまでがマクラって奴でこっから本題に入りやすが、疲れたので普通にやります。

そういう訳でアニタ・オデイの「真夏の夜のジャズ」(@1958 Newport Jazz Festival )での歌唱は一世一代の名演だと思います。村上春樹が「ポートレイト・イン・ジャズ」(新潮文庫)の中でうまいこと書いていたのですが、今手元にないのでうろ覚えで記憶の中から引用を試みてみます。「午後の明るい光の中で歌うという【ジャズ・ヴォーカル】にとってこの上なく不利な条件のもとで、観客の耳目を惹きつけることに成功した。あるいはねじ伏せたと言ってもいい」というようなニュアンスだったと記憶します。

この映画に限らず観客のショットは逐一ステージと対応している訳ではありません。ひどいときは全く関係のないショットをつなぐ場合もあります。それに加えてアニタの顔のアップからバスト・ショットの多用は観客(映画の)をミスリードする可能性が高いと思います。あの顔は相当プラス・ポイントになったと思います。

以上のことを割り引いても、名唱だと思います。曲のアレンジというか構成に誰が責任を負ったのかは知りませんが、通常軽快なアップテンポで少々能天気に演奏される『スイート・ジョージ・ブラウン』をスローでルースなムードから始めて、一転気合注入したビートにのせてブルージーに決める、あるいは高速の『二人でお茶を』のノリの良さ、4バース・チェンジの決まり具合。すべてが上手くいったステージなのでしょう。うーん、シビレル。

2007-09-18

Françoise Dorléac & Catherine Deneuve 1967



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「ロシュフォールの恋人たち」 Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『双児姉妹の歌』La Chanson des Jumelles (3:46)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『デルフィーヌとランシアン』 De Delphine à Lancien (3:47)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『ソランジュの歌』 Chanson de Solange (2:30)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『夏の日の歌』 La Chanson d'un Jour D'été (3:16)



この映画はどこを取っても美味しい。今でも年に1度は無性に観たくなって、観始めると止まらなくなって結局最後まで観てしまうことが多い。好きなLPやCDを聴くように観られてしまうのだ。最初に観たときは、非現実的なロマンスであるとかドヌーヴの踊りが今ひとつなところとかが気になって手放しに大好きというほどではなかった。観直すたびにそんなことは取るに足らぬことだと思うに至ったのだと思う。そもそもこの映画はミュージカル映画だ。しかもハリウッド、とりわけMGMのミュージカルへのオマージュなのだ。

『双児姉妹の歌』(『双子の歌』):映画を観る前から大好きだった曲。本作で最も有名な曲でもある。ドヌーヴの歌はアン・ジェルマンの、ドルレアックの歌はクロード・パランの吹き替えで2人ともスイングル・シンガーズのメンバーという風にいろいろな資料に書いてある。確かにアン・ジェルマンはメンバーだが、クロード・パラン(Claude Parent)は、スイングル・シンガーズの公式HPでグループの歴史を見ても存在しなかった。だいたいクロードって男性の名前だよね。ミステリアスです。ご存知の方はご教示下さい。
『デルフィーヌとランシアン』:画商のランシアン(ジャック・リベロール)とデルフィーヌ(ドヌーヴ)の歌。リベロールの歌もジャン・ストーという人の吹き替え。高速のジャズ・ワルツでとても素人には歌える歌ではないわなあ。この歌が始まる前に薄ーく流れているのが『マクサンスの歌』のメロディで、「愛のテーマ」として映画のいろいろな部分に顔を出します。
『ソランジュの歌』:この映画の曲はジャジーな曲が多いのだが、最も器楽曲的なメロディーなのがこの曲。これまた女優さんには絶対歌えません。最後に「愛のテーマ」(前述した『マクサンスの歌』と同じメロディー)になって、姉妹のデュエットで終わります。ロマンティックな泣きのあるメロディだと思います。
『夏の日の歌』:映画の見せ場のひとつ。キレイな大画面の映像で観たいシーンです。3/4と4/4のパートがスムーズにつなぎ合わされた巧みな曲作りはミッシェル・ルグランの面目躍如です。

さすがルグラン=ドゥミ・コンビの最高傑作ということで他にも取り上げたい曲がいくつもあるのだが、また別の機会にします。


藤原義江・龍田菊江 Yoshie Fujiwara with Kikue Tatsuta 1943

「音楽大進軍」(1943東宝・渡辺邦男)より
『愛国行進曲』(2:51)



一、
見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ
二、
起(た)て一系の大君(おおきみ)を
光と永久(とわ)に戴(いただき)きて
臣民われら皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
往(ゆ)け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る

三、
いま幾度かわが上に
試練の嵐哮(たけ)るとも
断固と守れその正義
進まん道は一つのみ
ああ悠遠の神代(かみよ)より
轟(とどろく)く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇国つねに栄えあれ


(昭和十三年発表)

作詞:森川 幸雄
作曲:瀬戸口 藤吉
著作権:無信託(詞)、消滅(曲)

 ……作詞作曲共に公募された結果、総数5,700余詞、9,500余曲の中から、詞は鳥取県の23才の青年が、曲は「軍艦行進曲」の瀬戸口藤吉が一等当選した。当時70才の瀬戸口は病床にあり、「最後のご奉公」と作曲したという。レコードは6社から発売され、当時としては空前の100万枚を売り切った。
 歌詞の補作に当たった佐々木信綱と北原白秋の意見が衝突し、以後死別するまで一切口をきかなかったというエピソードもある。

以上「天翔艦隊」より転載させていただきました。
トップ頁:
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/tensyofleet.htm
該当頁:
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/aikokuko.html

ところで、コンサート会場が東洋劇場となっていますが、これはどこなのでしょうか? 浅草の現浅草演芸ホールでないことだけは間違いないと思いますが。ご存知の方はご教示下さい。

2007-09-17

Clint Eastwood 1982



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「センチメンタル・アドベンチャー」Honkytonk Man (1982米クリント・
イーストウッド)より “When I Sing About You”(1:46)



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「センチメンタル・アドベンチャー」Honkytonk Man (1982米クリント・
イーストウッド)より “Honkytonk Man”(1:02)

「センチメンタル・アドベンチャー」Honkytonk Man(1982米クリント・
イーストウッド)より “Honkytonk Man”(3:52)



今でこそ偉大なる映画作家クリント・イーストウッドということになっていて、人は彼の近作を安心してほめることができるけれども、80年代半ばまでのイーストウッドは「ダーティー・ハリー」役者(だけの人)と認識する向きが大半を占めていた。

本作などは東京ではロードショー公開されず、地方(沼津、宇都宮)で2本立て興行の1本として封切られた。その後名画座にかかる回数も少なかったと記憶している。そのせいか劇場で本作を見た人が比較的少ないようだ。イーストウッドが劇中で死んでしまう数少ない映画の1本で、個人的には彼の作品でベスト3に入る名作だと思うのだが、この映画をそこまで買っている人は少数派のようだ。

アル中で肺結核の売れない歌手という設定で、歌のおぼつかなさを誤魔化したと取る向きもあるようだが、それははっきり誤解だと言っておこう。イーストウッドは若いときから音楽家志向があって、ピアノの腕前などはなかなかのものだし、歌の吹き込みも結構ある。たしかに一流歌手と比べると特筆すべき魅力はないのだが、技術的には70年代のあまり歌の上手くないシンガー・ソングライター程度には歌える人だと思う。

Clint Eastwood.Net のRecordings という頁で彼のレコードが20曲ぐらい聴けるから是非聴いてみてほしい。

ジュークジョイントで歌う“When I Sing About You”は誰の曲か知らないけど、素朴でイイ感じの曲だ。ここでは発作も起きずに最後まで歌い終えている。店の外で座って聴きながら口ずさんだり、ギターのコードを押さえる真似をしている少年は、劇中では甥っ子、実際は息子のカイル・イーストウッド
(当時14歳)。その後何本かの映画出演を経て、現在はプロのミュージシャン(ジャズのベーシスト)となり、親父の映画の音楽を手がけたりしている。余談だが、イーストウッドは本作製作にあたってギブソン社に特注でギター2本を作らせたそうだ。映画撮了後は、親父が1本、息子が1本所有していて今でも弾いているらしい(息子談)。

映画のタイトル・ソング“Honkytonk Man”。上はカントリー・ミュージックの桧舞台「グランド・オール・オプリー」が収録されていたライマン劇場でのオーディション。下の映像はナッシュビルでのレコーディングだ。残念ながら台詞がドイツ語吹き替えのものしか見つからなかった。レコーディングの途中で発作を起こして歌えなくなってしまうのだが、途中で歌を引き継ぐのが『エル・パソ』などのヒット曲で知られる伝説的カントリー歌手マーティ・ロビンスだ。皮肉なことにロビンスは撮影後まもなく心臓発作でこの世を去ってしまう。完成した映画を観ることもなかったと伝えられている。享年57であった。

2007-09-16

CSN&Y 1969

‘Celebration At Big Sur’(1971米dir. by Baird Bryant & Johanna Demetrakas)より “Sea Of Madness,” “4+20” (8:25)

‘Celebration At Big Sur’(1971米dir. by Baird Bryant & Johanna Demetrakas)より “Down By The River ” (6:24)



1969年9月13日に行われたビッグ・サー・フォーク・フェスティヴァルでのライヴ。このフェスティヴァルは1964年から始まり、1969年は第6回にあたる。ビッグ・サーはサンフランシスコの約150マイル南、LAの約300マイル北の海辺の土地で、ヘンリー・ミラーやジャック・ケルアックが居住して小説の題材にしたことで知られている。フェスティヴァル会場はエサレンというニューエイジ系のワークショップ・センターで、ニューポートなどよりキャパシティが小さくて親密な雰囲気のフェスティヴァルだと言われている。

ニール・ヤング作の“Sea Of Madness”とスティーヴン・スティルスのソロ“4+20”の間に観客の一人とスティルスの小競り合いがはさまっているのがフェスの「親密性」を証明しているかも。あと、どうでもいいけど“Sea Of Madness”演奏中のストリーク(なのかあれは?)は仕込みっぽいね。

最後の“Down By The River ”での演奏はアルバム「4ウエイ・ストリート」をほうふつさせるエキサイティングなもの。まさにヴィンテージCSN&Yで、1か月前のウッドストック・フェスより歌も演奏も出来ははるかに良いと思う。

2007-09-15

Yma Sumac 1957

「勇者カイヤム」Omar Khayyam (1957米ウイリアム・ディターレ)より
曲目不明 Unknown Tune(2:27)


イマ・スマックを知ったのはハル・ウイルナーがプロデュースしたディズニー・トリビュート・アルバム‘Stay Awake’(1991)なので、大きな顔などできはしない。それ以来「モンド・ミュージック」の文脈でレス・バクスターがらみの音源を聴きかじった程度なので、彼女の全貌など見えているわけもなく現在に至っている。
4オクターブとも5オクターブとも言われる広い音域とアクロバティックで奇妙な歌いまわしで、一度聴いたら決して忘れられない声の持ち主である。ペルーの歌姫から50年代にはUSA進出を果たし、キャピトル・レコードと契約するとともにハリウッド映画にも出演するようになった。

名匠ウイリアム・ディターレ監督の本作は、11世紀のペルシャ帝国の詩人/数学者(天文学者)のオマー・カイヤムの物語。スマックの役どころはカイヤムの恋人の侍女カリーナ。故郷の村で「鳥の化身」と恐れられていたという伝説を持つ声が炸裂している。彼女の出演作にもう1本有名な「インカ王国の秘密」(1954)というのがあるので、後日取り上げてみようと思う。

ザ・ダイナマイツ The Dynamites 1968

「ケメ子の唄」(1968松竹・田中康義)より
『ユメがほしい』(0:43)



1968年に流行った『ケメ子の歌(唄)』にあやかってできた映画。GS映画というよりも「歌謡映画」といったほうがあたっているかもしれない。主演の小山ルミ扮するケメ子がゴーゴー・コンテストに出場しているシーンで、山口富士夫率いるザ・ダイナマイツが演奏をつとめている。GS研究家の故・黒沢進氏はザ・ダイナマイツを「2大R&Bバンド」のひとつと位置づけていた(もう1つはボルテイジというGS)。デビュー・シングル『トンネル天国』に続く第2弾『ユメがほしい』は、橋本淳作詞・すぎやまこういち作曲の凡庸な曲で、Bメロの最後はまるで『ブルー・シャトー』だ。

このクリップには出てこないが『ケメ子の唄』を歌ったジャイアンツが映画に出演している。そもそも『ケメ子の歌』を先に出してより多くヒットしたのはダーツというグループなのだが、なぜか後追いのジャイアンツの『ケメ子の唄』で松竹は映画をつくったのであった。

ところで作者不詳だというこの『ケメ子の歌(唄)』そのものが、フォーク・クルセダーズの『帰ってきたヨッパライ』を真似て早回しヴォーカルをフィーチャーした(このアイデアそのものは米のチップマンクスからだろう)二番煎じ・三番煎じのものなのであった。

2007-09-14

Elvis Presley 1958 vol.2



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「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『トラブル』Trouble (1:53)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ヤング・ドリームス』Young Dreams (2:13)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ざりがに』Crawfish (2:07)



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「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ディキシーランド・ロック』Dixieland Rock (1:47)



『トラブル』:ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのコンビによる曲。個人的にはエルヴィスの曲の中でもベスト5に入るほど好きな曲だ。マディ・ウォーターズの曲を思わせるリフとワン・コードで押すAメロ。ブルースになり途中でアップテンポに変わるBメロ。エルヴィスのエキサイティングな歌唱。素晴らしい。内田裕也がブルー・コメッツをバックにしたカヴァー・ヴァージョンもカッコいいです。
『ヤング・ドリームス』:のちにジーン・ピットニーのマネージャーを経て音楽業界の大物になるアーロン・シュローダーとマーティン・カルマノフという人が書いた曲。2ビートでバウンスするミディアム・テンポを基調としたバラード的な曲。
『ざりがに』:フレッド・ワイズとベンジャミン・ワイズマンのコンビの曲。映画冒頭でザリガニ売りの黒人女性歌手キティ・ホワイトとエルヴィスが掛け合いで歌う曲。南部ムードが横溢していて、トニー・ジョー・ホワイトが歌ってもおかしくないスワンピーでソウルフルな曲だ。渋い。
『ディキシーランド・ロック』:クロード・デミトリアス(「冷たい女」の作者)とロイ・C・ベネット(「ニュー・オーリンズ」の作者)のコンビによる曲。シャーリー&リーあたりのニュー・オーリンズR&Bをほうふつさせるリズム・パターンで始まり典型的なエルヴィス調のR&Rが展開される佳曲。

なお「冷たい女」「訳はゆるして」「さらばハイスクール」の3曲は諸般の事情により取り上げませんでした。ご容赦下さい。

2007-09-13

Elvis Presley 1958 vol.1

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『キング・クレオール』King Creole (2:07)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ニュー・オーリンズ』New Orleans (1:57)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『君と生きる限り』As Long As I Have You (1:43)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ラヴァー・ドール』Lover Doll (2:08)



「監獄ロック」(1957)に続く第4作目(主演第3作目)の映画。エルヴィス自身が最も好きだった作品とも伝えられている。エルヴィス映画で唯一鑑賞に堪える映画と評する人もいるが、エルヴィス映画を全て観たわけではないのでそこまではわからない。しかし、音楽的にはなかなか充実した作品ではないかと思う。

ニューオーリンズを舞台としたストーリーということで、ディキシーランド・ジャズっぽい味付けを施すなど若干の冒険的と言えなくもない試みもしていて、なかなか聴かせる。それよりも問題なのは、入隊前の最後の作品だということである。

一般的に除隊後のエルヴィスは駄目説が根強くある。軍隊が彼から反抗的なイメージを拭い去ってしまったというもっともらしい俗論。マネージャーのパーカー大佐がエルヴィスを契約によってハリウッドに釘付けしてしまったため、音楽的な発展性を阻害されてしまったという同情論。それにも関わらず60年代にも「天才エルヴィス」はイイ仕事も残してるよというお宝埋蔵論。いずれかを是とする、あるいは新論を立てる力量を持たぬので判断は留保するが、軍隊への入除隊がターニング・ポイントになったというのは確かなのだと思う。


『キング・クレオール』:『監獄ロック』や『ハウンド・ドッグ』(オリジナルはビッグ・ママ・ソーントン)の作者ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのコンビによる曲。セカンドラインを高速にしたようなビートが面白い。おそらくスコティ・ムーアが弾いているであろうリード・ギターをエルヴィスが弾いてるような演出はちょっと興ざめ。ジョーダネアーズのコーラスがこの曲にはハマっている。
『ニュー・オーリンズ』:『ブルー・レディに赤いバラ』の作者で知られるシド・テッパーとロイ・C・ベネットのコンビの曲。ホーンがディキシーランド・ジャズしている。
『君と生きる限り』:フレッド・ワイズ(作詞)とベン(ジャミン)・ワイズマン(作曲)コンビのバラード。ベンジャミンはボビー・ヴィーの『夜は千の眼を持つ』で知られた作曲家。ファンには人気の高い曲らしい。
『ラヴァー・ドール』:ウェイン・シルヴァーとアブナー・シルヴァーのコンビの曲。この2人については何も知らないが、ちょっと面白い曲だと思う。Aメロが循環コード(ガーシュインの『アイ・ガット・リズム』の進行)なので古い世代の作曲家なのだろうと思うが、Bメロ(サビ)で50年代後半当時の当世風になるという構造になっている。エルヴィスの鼻歌風の力の抜けたヴォーカルもイイ湯加減。(vol.2に続く)

2007-09-10

João Gilberto, Luiz Bonfá & Antonio Carlos Jobim 1962

‘Copacabana Palace’(1962伊・仏・伯dir. by Steno)より
“Cancao Do Mar”(1:36)


‘Copacabana Palace’(1962伊・仏・伯dir. by Steno)より
“Só Danço Samba”(1:35)



日本未公開。若き日のジョアン・ジルベルト、ルイス・ボンファ、A.C.ジョビンが出演したほとんど唯一の映画である。DVD化もされてないようなので当然未見の作品だが、縁あってこの映画のことは少し前から知っていた。知り得た情報によると映画自体は取るに足りないものとのことだが、音楽関連のシーンには他にも見所が若干あるらしい。

“Cancao Do Mar”はボンファとMaria Helena Toledoの曲。映画で最初に歌うのがボンファ、次がジルベルトで、最後に歌う上半身裸の男がジョビンである。“Só Danço Samba”はジョビンとヴィニシウス・ジ・モラエスの曲。エラ・フィッツジェラルドなどもレパートリーにする有名曲である。後者の曲ではジルベルトが発明したボサノヴァのギター奏法「バチーダ」も垣間見ることができる。なお、ジルベルトと共演しているのはOs Cariocasというグループです。